「肉まん」と「豚まん」の違い
「肉まん」と「豚まん」。
同じ中華まんでも、地域によって呼び方が違うことをご存じでしょうか。
全国的には「肉まん」という呼び方が一般的ですが、関西や九州では「豚まん」という言葉も広く親しまれています。
長崎ぶたまん専門店・桃太呂では、創業以来「長崎ぶたまん」という名前で商品をお届けしてきました。
今回は、中華まんのルーツや、「肉まん」と「豚まん」の違い、そして長崎ならではのぶたまん文化についてご紹介します。
中国の「饅頭」と日本の「まんじゅう」
日本語の「まんじゅう」は、中国語の「饅頭(マントウ)」に由来するといわれています。
ただし、現在の中国で「饅頭(マントウ)」というと、一般的には具の入っていない蒸しパンのようなものを指します。
一方、日本で「中華まん」として親しまれている、具の入ったものは、中国では「包子(パオズ/バオズ)」と呼ばれています。
長崎の卓袱料理で、角煮を挟んで食べる白い蒸しパンのような生地がありますが、あの皮の部分に近いものをイメージすると分かりやすいかもしれません。
饅頭の起源として語られる「孔明」の伝説
饅頭の起源については、三国志で知られる諸葛亮孔明にまつわる有名な伝説があります。
蜀の宰相であった諸葛亮が南征の帰りに川を渡ろうとした際、川の氾濫を鎮めるために人の首を供える風習があったと伝えられています。
しかし、部下を犠牲にしたくなかった孔明は、小麦粉で作った皮に肉を包み、人の頭に見立てたものを川に供えた――という話です。
史実として確認されているわけではありませんが、「饅頭」の由来として古くから語り継がれている代表的な伝説のひとつです。
日本の饅頭文化と林浄因
日本における饅頭文化の始まりとして知られているのが、林浄因(りんじょういん)という人物です。
林浄因は、1349年に中国から来日し、奈良で饅頭を作ったと伝えられています。
当時の日本では仏教の影響もあり、肉を使う代わりに小豆などを使った饅頭が広まり、これが和菓子としての「まんじゅう」文化につながったとされています。
現在も奈良市の漢國神社には、林浄因を祀る「林神社」があり、「饅頭の祖」として知られています。
「肉まん」と「豚まん」は何が違う?
現在の日本では、全国的には「肉まん」という呼び方が広く使われています。
一方で、関西や九州など西日本では、「豚まん」という呼び方もよく使われています。
理由のひとつとして、西日本では昔から「肉」といえば牛肉を指す文化があるためです。
そのため、豚肉を使った中華まんは、「肉まん」よりも「豚まん」と呼ぶ方が自然だった地域があります。
お好み焼きでも、牛肉入りを「肉玉」、豚肉入りを「豚玉」と呼ぶように、食文化の中で自然に使い分けられてきた言葉ともいえます。
長崎ならではの「ぶたまん文化」
長崎は、古くから中国文化の影響を受けてきた街です。
卓袱料理、新地中華街、唐人屋敷など、長崎には独自の中華文化が根付いています。
そんな長崎では、「ぶたまん」を酢醤油につけて食べる文化も親しまれてきました。
桃太呂でも、創業当時から酢醤油と一緒にぶたまんを販売しています。
ふっくらした皮と、豚肉や玉ねぎの旨みを活かしたシンプルな味わいに、酢醤油のさっぱりした風味がよく合います。
桃太呂が「長崎ぶたまん」と呼ぶ理由
桃太呂では、創業以来「長崎ぶたまん」という名前で商品をお届けしてきました。
一般的な肉まんよりも少し小ぶりで、ふっくらとした皮と、豚肉や玉ねぎの旨みを活かした、どこか懐かしい味わい。
創業者が、「子供でも食べやすいように」と小さめのサイズで作ったことも、桃太呂の長崎ぶたまんの特徴のひとつです。
派手さよりも、「また食べたくなる味」を大切にしています。
おやつや夜食としても食べやすいサイズ感は、長崎の街の中で長く親しまれてきた理由のひとつかもしれません。
「肉まん」でも「中華まん」でもなく、桃太呂はこれからも「長崎ぶたまん」として、長崎の味をお届けしてまいります。