昭和62年の日本経済新聞が伝えた長崎ぶたまん文化
昭和62年、日本経済新聞に掲載された桃太呂
こちらは昭和62年(1987年)2月13日の日本経済新聞に掲載された記事です。
記事には「不況の街で ぶたまん大健闘」という見出しとともに、桃太呂の店舗前に行列をつくるお客様の様子が紹介されています。
当時の長崎は造船不況の影響を受けていましたが、そのような状況の中でも桃太呂のぶたまんを求めるお客様が絶えなかったことが記事からうかがえます。
長崎市民の日常に根付いていた長崎ぶたまん
現在でも桃太呂の長崎ぶたまんは、
・飲み会帰りのお土産
・家族への手土産
・小腹が空いた時のおやつ
として、多くの地元の方々に親しまれています。
昭和62年の記事からも、桃太呂のぶたまんが長崎市民の日常に深く根付いていたことが分かります。
長崎ちゃんぽんや皿うどんと並び、長崎ぶたまんは長崎市民に親しまれてきた長崎名物のひとつです。
思案橋と長崎ぶたまん
長崎最大の繁華街・思案橋周辺では、昔から飲食店や居酒屋を利用した後にぶたまんを買って帰る文化がありました。
飲み会帰りのお父さんが家族へのお土産としてぶたまんを買って帰る――。
そんな長崎らしい風景は、今も多くの方の思い出として語り継がれています。
実際に近年でも、テレビ番組で「長崎人のシメは長崎ぶたまん」として紹介されるなど、この文化は現在も長崎の街に息づいています。
→「飲んだあとのシメ文化」へ
今も変わらない長崎の風景
昭和62年に日本経済新聞が報じた桃太呂の記事は、長崎ぶたまん文化が昔から長崎市民の暮らしの中にあったことを伝える貴重な記録です。
時代が変わっても、長崎ぶたまんは長崎市民の日常の中にあります。
桃太呂はこれからも、長崎市民に親しまれてきた長崎ぶたまん文化を大切に守り続けてまいります。
→「長崎ぶたまん文化」へ